まほろば|春 -HARU-

身の毛がよだつ

まほろば日記|身の毛がよだつ

こんにちは、春です。

まほろばは夏から秋にかけての公演がひと段落し、公演と並行して行っていたいくつかの新曲の制作を引き続き行っています。


そんな中で先日、北の方に住む姉からのメールに興味深い話がありました。


その日は家族で紅葉狩りに行っており、思いがけず山の奥の方まで入っていってしまったらしいのです。その時ちょうど車の中ではまほろばの曲がかかっており、辺りの風景と相まってなかなかの雰囲気を醸し出していたようで、小学生の甥っ子が「怖いからもう帰ろう」と言い出した、と…。


怖がりな甥っ子らしいなと思うのと同時に、ちょうどこの頃私も似たような経験をしていたので、甥っ子の気持ちが良く分かりました。


まほろばは今年の下半期、様々な場所で公演をさせていただき、その都度車で移動していたので車窓から多くの日本の風景を見ることが出来たのですが、


特に印象的だったのは、目的の場所に向かう途中の真夜中、高速道路が急遽通行止めになり長野県の一般道に降りた時、暗闇の中に浮かび上がる見渡す限りの田園、遠くには山々が影となった広い広い道で、エンジンを切ってみたなら風もなく、音は虫の鳴き声だけ、そして空にはぼんやりと光るお月様がしずかに浮かんでいた、あのなんとなく寂しげな景色、


もうひとつは琵琶湖にある「水上の鳥居」で有名な白鬚神社付近の深い森の辺り(後にこの一帯が古墳群だった事を知るのですが)を通過した時に見た、様々な緑が折り重なる神々しい景色、


どちらの景色も、ちょうど自分たちの新曲のデモを聴きながら見ることになったのですが、怖いわけではないのだけど身の毛がよだつような、忘れていた感情が自分の意思を無視して湧き出てくるような、何とも不思議な感覚がありました。


普段スタジオで音楽を作っている時間が多いけれど、頭の中に広がっているものは遠く離れた、でも確かに存在するはずの場所で、心の中に広がっているのは遠く昔の、でも確かに感じたことのある感覚。


自分たちの作った音楽とその場所・記憶が共鳴しあっているような感じが、自分が日本人である事を改めて教えてくれたというか、

ちゃんと記憶の中にこういった日本が根付いているという事を認めてもらえたというか、何だかとても嬉しく誇らしい気持ちになりました。


作曲者であれば、聴いてくださる方々に対して少なからず「こういったシーンで聴いてもらいたい」という願望があるのではないかと思うのですが、私はまほろばの音楽は自然の中で聴いてもらいたいなと思っています。


私がそれぞれの場所で聴いていた曲は、またリリースされた後にお伝えできたら良いなと思います。皆さんにも是非いろんな場所で聴いて欲しいですし、私や甥っ子のようなあの「ぞわわ…」な感覚を味わっていただければな、と思うのです。

 

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